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タッキーN DTM考坊制作・音楽演奏のページ




このページはタッキーNのDTM考坊制作中の音楽をお聞きいただくページです。
わざわざこのアトリエまで訪問いただきありがとう! 
ただ今MP3録音テスト中ですが試聴できます。聞きたい演奏のスタートボタンをクリックしてください。

1回のみで演奏ストップしますが、演奏中に他を選ぶときは一旦ストップさせてください。



曲目 JN127- 鈴 懸 の 径  (2009.9.10 録音 3.19-3.48MB) 
127-SKO   ・02'19" 224kbps・Tempo=112
歌用カラオケ in Dm 音域 A3--Bb4
127-HPJN   ・02'33" 224kbps・Tempo=112
鑑賞用
 in Dm/Em


鈴懸の径(昭和17年)
作詞: 佐伯孝夫 作曲: 灰田有紀彦  唄: 灰田勝彦

友と語らん
鈴懸
かけの径
通いなれたる
学舎
まなびやの街
やさしの小鈴
葉かげに鳴れば
夢はかえるよ
鈴懸の径



スズカケとはプラタナスの事。プラタナスというと、「風」♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で〜って歌詞で
おなじみ。ヨーロッパからアメリカが原産で日本に入ってきたのは1900年ごろと言われています。
今では、イチョウと並び街路樹に多く用いられてます。
球形の実が鈴のようになることからすずかけのきというとか、山伏の着る篠懸(スズカケ)の衣に付いて
いる房の形に似ているとか、諸説があるようです。(類語新語辞典と世界大百科事典から) 
花言葉は「天才」。

灰田勝彦はハワイ・ホノルル生まれの二世だという。作曲は兄の灰田有紀彦(灰田晴彦)。
灰田兄弟はハワイで父親が急逝したあと、帰国。そして2人は立教大学に入ったという。
この歌は立教大学の道をモデルに作曲されたそうで、立教大学には歌碑があるという。

http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-7375.html


灰田勝彦が歌ったこの歌には、全体に不思議な哀愁が漂っている。
後にジャズに編曲されたものが大変に流行した。その鈴木章治とリズム・エースの演奏は、
昭和26年頃にレコードに録音された。それは軽快なリズムに乗ったものになっている。

しかし、灰田さんの歌った原曲は歌詞も含めて哀愁を拭い去ることの出来ない作品である。
発表された年が昭和17年であると知り、哀愁の本体は、翌年に来る学徒出陣を控えた
社会情勢に対する学生達の情緒であろうと推測するに至った。また更に広く、
勤労青年達(軍人も含む)にも宿っていた情緒でもあったのではないか。
一般的に戦前の学生は、学問に努める事によって卒業してから社会に貢献できる事を
目指していた。ところが戦争が激しさを増すにつれて、学生の本分を放棄せざるを
得ない事態がやがて訪れる事を予感せざるを得なくなっていた筈である。
「残念だが学業は放棄せざるを得なくなるようだ。戦地に行かなければならなくなるだろう。
命も失う事になるかも知れぬ。本分の放棄から何時戻れる事になるか判らない。
これっきりであるかも知れない。」この様な、仲間同士でなければ口に出せない気分に
多くの学生達は陥っていたのではないか。
歌詞の「友」とは誰か? 私は学友と解釈したい。同じ気分を共有するのは学友であるからだ。
恋人には自分の気分の全部を語ることは出来なかったであろう。また、歌詞の
「夢はかえるよ」の意味は何か? 「(失った)夢は心の中に甦る」または、希望・願いとして
「学問に努める境遇に戻れる時代をまた何時の日にか迎えたい」の意味と解したい

http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/779.html





この曲はある歌声サークルで演奏しようと制作したものです。アルトリコーダーでは
Dm・ニ短調で始め 2回目は2度上げてEm・ホ短調に転調して演奏しています。
Dm・ニ短調で歌うときは間奏なしで続けて同じ歌詞を歌ってください。


他のサイト掲載から上の引用解説と歌詞、 参考にしたMIDI DATAを利用させていただきました。
演奏はメロディーパートをハーモニカ音色に変更し、ストリングスパートと
短い間奏・エンディングを加えています。全体のテンポはいまの時代に合わせ少し速めにしてあります。



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