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 最近ちょっと気になる歌-2
 『無縁坂』

     2008.3.1



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をクックして演奏させてください

'09.03 256kbps再録音
さだまさしの歌はタッキーNも好きで前からよく聞いていました。最初の?「雪の朝」という曲が特に好きでしたね。あれは昭和40何年ごろになるのだろう?そのあと「精霊流し」「無縁坂」「フレディもしくは三教街」「線香花火」「童話作家」「雨宿り」「最終案内」「つゆのあとさき」「飛梅」「檸檬」「フェリー埠頭」「天文学者になればよかった」「案山子」「秋桜」「主人公」「まほろば」「親父の一番長い日」「防人の歌」「みるくは風になった」「長崎小夜曲」「北の国から」「風に立つライオン」「勇気をだして」・・・・・これだけでも15年経過しています。(ねっ、まさしくさだまさしファンでしょ) --- 「男は大きな河となれ」-「つぐない」-「かささぎ」と続きます
さだまさしの歌のどこに一番惹かれるのか、それはやはり彼の歌詞・詩のもつ独特の世界でしょうね。簡単にひとことでいえば、それぞれの作品(詩が語りかけてくるメッセージ)に共感。それらの詩が彼自身のメロディーラインで歌われるのですが、これがまた共感。きりがないので前置きはこれくらいでストップしておきましょう。

▼この中で”なぜこの曲にこのタイトルをつけたのだろう?”とずっと気になっていた曲が「無縁坂」ですね。
関わっているあるシニアサークルでリクエストがあり(2008.2)リコーダー演奏用伴奏として制作したのを機会にタイトルをなぜ「無縁坂」としたのか?この曲について背景を調べてみました。興味のある方は(とりとめもない話ですが)お読みください。

  
                 作詞・作曲:さだまさし、唄:グレープ

母がまだ 若いころ 僕の手をひいて 
 この坂を 登るたび いつもため息ついた
 ためいきつけば それですむ 後ろだけは 見ちゃだめと
 笑ってた 白い手は とても柔らかだった
  運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど
  そういう事って 確かにあると あなたを見ててそう思う
 しのぶしのばず 無縁坂 かみしめるような ささやかな 僕の母の人生


いつかしら 僕よりも 母は小さくなった 
 知らぬまに 白い手は とても小さくなった
 母は全てを 暦に刻んで 流してきたんだろ
 悲しさや 苦しさは きっとあったはずなのに
  運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど
  めぐる暦は 季節の中で 漂いながら過ぎていく
 しのぶしのばず 無縁坂 かみしめるような ささやかな 僕の母の人生


■この歌はグレープ時代のさだまさしが昭和50年(1975)に作り、TVドラマ『ひまわりの詩』の主題歌として使われました。グレープはさだまさしと吉田正美のデュオでしたが、さだが病気になったため、昭和51年(1976)に解散しました。
無縁坂は東京台東区池之端にある坂。坂の上には、江戸時代、行き倒れになった無名の死者を葬った無縁寺があったため、この名がついたといわれます。
また、坂を下ったところには不忍池(しのばずのいけ)があります。「しのぶしのばず」は、これにかけたものでしょう。森鴎外の小説『雁』の主人公岡田青年がヒロインお玉に出会った場所として有名です。
・・・この歌を聞くと、自分の母親を思い出すという人が多いようです。(以上、二木紘三氏のサイトより)
・・・ちなみに池之端には忍岡という小学校が今もあります。

  

▼今はネットで有名な小説を読むことができるので、森鴎外の「雁」を久しぶりに読み直して見ました。高利貸しのお妾であるお玉という人物や心情がすごく詳しく・魅力的に書かれています。場面は明治13年の東京(上野・池之端・本郷)です。
▼散歩中の医学生・岡田青年とお玉は無縁坂のお玉の家の前で会いお互いに相手を気にするようになる。蛇がお玉の飼っている小鳥を襲うのを偶然岡田が助けるが、このことをきっかけにお玉は何とか岡田と親密になろうとする。岡田がドイツへ留学するため会うのが最後の日となるはずの夕、不忍池で投げた岡田の石が雁に当たり、居合わせた友人たちとこの雁で飲食をすることになってしまう。二人は親しく言葉を交わすこともなくそれぞれ別の道を進み始める。
物語はここで終わってしまいます。それぞれの登場人物がその後どうなっていくのか気になって読み終わったあと心に残ります。もしあの石が「雁」を直撃しなければ、登場人物は別の人生を歩んでいったことでしょう。
これはあくまで勝手な想像ですが鴎外はこの小説のタイトルを「未醤春魚(みそさば)」としたかったのではないでしょうか?でも「雁(がん)」の方がきれいなので変えたのだと思います。理由はこの小説を最後までお読みになるとわかります。

ここで無縁坂の歌詞を改めて読み直してみたのですが、この小説の内容とはなにも関係はなさそうです。さだまさしは歌詩の中で母に「無縁坂という名の坂」を歩かせたくて「雁」から岡田青年の散歩道のひとつである無縁坂の地名を借りたのでしょう。

では、なぜ母に無縁坂を歩かせ、曲名までが「無縁坂」としたのか。・・・・母は「何かとは無縁の人」といいたかったのでしょうか。
 「何か」とはなんでしょう・・・・??

 それは「幸せ」ではないでしょうか!?
でも、幸せ薄いことや、悲しみや苦しみを嘆く人ではなく、そのなかでもほんの些細なわずかの幸せを見つけ喜びとし、自分の人生を肯定していた・・・・そんな母であったことを歌いたくてこの曲を作ったのではないかと思います。
ここでの母がさだまさしの実の母なのか、特定の友人・知人の母なのか、架空の母なのかは分かりません。

 ---- あっ、ひょっとして「雁」のヒロイン「お玉」のその後を想像し、自分の母として詩にしてみたのかも?


 最近ちょっと気になる歌-1
 『千の風になって』




無縁坂の演奏が終わってからスタートさせてください
「考坊」併設掲示板 投稿日:2006年11月
ご存知の方も多いと思いますが、各国で行われる戦争記念日・慰霊祭や多くの個人の告別式・追悼式などで朗読され、遺された人たちの心を和らげている一遍の詩があります。タッキーNも改めて正確に文字でこの詩を読み返してみようとネット検索してみました。

千の風になって
    訳詩・新井満 arai-man

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 死んでなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 あの大きな空を
 吹きわたっています


新井満氏はこの詩の訳詞・作曲について次のように記述しています。
『ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。私は一読して心底から感動しました。<よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、あとに残された多くの人たちの心をほんの少しくらいはいやすことができるのではなかろうか……>そう思ったのです。
何ヶ月もかけて原詩となる英語詩をさがし出しました。それを翻訳して私流の日本語訳詩を作りました。それに曲をつけて歌唱したのが、この度の「千の風になって」という歌です。』
http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/

この詩を特集し、NHKTVのハイビジョンでもうすぐ1番組として放送されるようですがその中でこの曲も「スーザン・オズボーン」の歌で紹介されるようです。(この歌手も大好きです。ピアノかシンセサイザーを弾きながら声量豊か・表現豊かに、でも決してオーバー気味でなく歌う女性歌手です)タッキーNのTVはまだハイビジョンに対応していないので、BSか総合で再放送されるのを見逃さないようにしようと思っています。耳コピーで伴奏を作成しリコーダーで吹いてみたいのです。うまく完成すれば「考坊」サイトの1ページで紹介したいとも思っています。

この詩を日本語に訳したもうひとりの「オーママミア」さんは
原詩の作者をメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性だとしています。
(NHKでは常に作詩者不詳としていますが・・・・)その人、主婦であり市井(しせい、いちい=ちまた、庶民)の詩人であったメアリーは2004年9月15日没 享年98歳だったようで、またこの原作者が、なぜ・どんな状況でこの詩を作ったのかについてくわしく解説しています。
関心・感心のあるかたはこちらもご覧ください。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/prof/1000winds.html
さらにこのページから関係のサイトの紹介もあります。

千の風になって
    オーママミア訳詞

私の墓標の前で泣かないで
私はそこにいないのだから 私は眠ってなんかいない
私は千の風になって渡ってゆく
私はやわらかく 舞い降りる雪
私は優しく降り注ぐ雨
私は野に実る穂
私は朝の静寂の中に
私は水辺にたなびく灯心草
空を旋回する美しい鳥たちとともに

私は夜空の星の光
私は咲き誇る花たちとともに
私は静かな部屋の中に
私は歌う鳥たちとともに
私は全ての素晴らしいものとともにあるの
だから、私の墓標の前でなかないで
私はそこにいないの 私は死んではいないのだから


どちらの訳詩も原詩と少し違うようですのでやはりここに掲載しておきます。

a thousand winds


Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
 


2007.2.22
同じ2006年の大晦日、NHK紅白でこの曲が(荒井満さん訳詞・作曲版で)歌われ多くの方の感動を得て今や話題の曲となってしまいました。「考坊」でもリコーダー演奏の伴奏用としてDTM制作し公開中です。 以下はそのページに記載した文章の抜粋です。

 タッキーNがリコーダーを演奏しているいろんな会場で、最近数回にわたってリクエストがあったのがこの曲なんです。「演奏できませんか?」「リコーダーでも合うと思いますよ!」・・・・タッキーNもそう思っているし、やってしまいましょうか! ・・・・
この曲はネットで手軽に見つけて伴奏用に手を加えてしまうにはタッキーNとして何かが?許しません。なので素直なギターと少人数のボーカルの加わった編成で編曲してみました。でも何か物足りないのでよせばいいのに「風の音」を入れてしまいました。ほんとはもっと穏やかな風のはずなのですが、それだと聞こえないので少々刺激的?な音(SE)です。(SEとは、効果音SoundEffectのことです)
メロディーのみ数ヶ月前にネット検索で見つけ、コードは録画していたあるTV放送の画面から断片的に見えていたのを参考に組み立てました。音的にいろいろとおかしいところもあると思いますが期間限定にて公開してしまいます。

2007.2.27
このページでは in E ホ長調(オカリナ)、テンポ=72になっていますが、いずれも秋川雅史さんの歌にあわせたつもりです。でも、曲調としてはフォークソングっぽく軽めです。タッキーNは いまはソプラノ・リコーダー in G で演奏していますが、このときはコーダ以降(最後に出てくる”千の風になって”から)は2度上に転調した伴奏を使っているので、サイト公開版もこれにあわせることにし変更しました。一応 この版で「考坊流・完成」としたいと思います。

2007.3.6
「千の風」をリコーダーで演奏し、その会場にたまたま居合わせた方々に聞いてもらえるとき・・・・この曲を演奏するにふさわしい自分(タッキーN)であるか?といつも自問してしまいます。いうまでもなくこの曲は「亡くなった人が 親しかった身近な遺された方たちに歌いかける」といった内容ですね。なので演奏するからには(技量に関係なく)安易に音符をただ音に変えるような演奏であってはいけない気がします。もし私自身がこの世から去ったとき「その死を惜しみ悲しみ追悼してくれる親しい人たちに語りかける・・・・」それくらいのつもりでこの曲に向かわないと演奏する資格がないように思います。いいかえれば「この曲が持っているメッセージの代弁者としての演奏者の役割」を忘れないようにしたい、と思いますね。でも、だからといって、重々しすぎるテンポ設定や訴えすぎる表現でもだめなのでは? 押し付け的でなくさらりと爽やかに、思いは深い奥のほうに秘めたままで、・・・・そんな演奏になるよう心がけたいですね。
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